知能は教育で伸ばせるのか—知能検査を教育効果の指標にしてはいけない理由-

心理測定の数値は、その理解を助ける一つの資料にすぎません。それなのに、なぜ同じ検査が繰り返し使われてしまうのか(反復測定の問題)、なぜ検査の課題を「訓練」と称して練習してしまうのか(検査の妥当性の破壊)、知能検査やそれに類するものを「(教育の)効果」としてしまうのか(評価指標の自己目的化)、その問題と背景について考えます(川﨑)
川﨑・奥村・荻布 2026.03.11
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3人の先生のニュースレターは、こどもの発達や障害、広く保育や教育に関して気になるニュースや最新の研究を取り上げます。川崎・奥村・荻布のそれぞれの専門性を活かしながら子どもの発達支援や教育・社会福祉のエビデンスを深堀し、経験値をエビデンスとして皆様の生活に還元しようとする試みです。根拠の乏しいハウツーとは一線を画して、間違いの少ない情報を届けたい人に届けていくことを目標にしています。

「療育をすれば知能は伸びるのですか?」

「知能を伸ばす教育はあるのでしょうか?」

「そもそも、知能検査を教育効果の指標にしてよいのでしょうか?」

 教育や支援の現場で、時折(周期的に)こうした問いを受けることがあります。学力テストでは、練習や指導によって得点が上昇することが珍しくありません。そのため同じ感覚で、知能検査も繰り返し測定すれば改善が見えるのではないか、と考えられる節があります。

 しかし心理測定の観点から言えば、この問いには慎重に答える必要があります。なぜなら、知能検査はそもそも教育的アウトカムを直接測定するための道具ではないからです。教育評価研究では、テスト得点の意味は数値そのものにあるのではなく、「何を測る目的で使われているのか」という文脈によって成立すると考えられています。Messick(1989)は、テスト得点の意味は測定の目的と使用される文脈によって決まると論じました。例えば血圧計を考えると分かりやすいでしょう。血圧は健康状態を理解する重要な手がかりになります。しかし、血圧の値だけでその人の生活の質や幸福度を評価することはできません。同じように、知能検査の得点も子どもの認知特性を理解する資料にはなりますが、それだけで教育の成果を評価することはできないのです。

 この視点から見ると、知能検査の複数回測定が単純に「成長」や「支援の効果」を示すとは限らない理由は、少なくとも次の六点に整理できます。

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